寺島忠三郎関連エントリー

鷹司邸の跡

... 元治元年(1864)の禁門の変では、長州藩が屋敷を占拠し、久坂玄端や寺島忠三郎らが自刃すると共に屋敷に火が放たれ、長州藩邸の火などとともに「どんどん焼け」といわれる大火に広かったのである。 ...

鷹司邸の跡

8畳の宇宙

... 前原八十郎 鋭果愛すべき者、、、野村和作 朴訥にしてすこぶる沈毅の質あり、、、寺島忠三郎 書を読むこと河のごとし、、飯田俊徳 中々の奇男児なり。愛すべし。、、、時山直八 何者になるかも分からない若者に対する師の評価である。 ...

8畳の宇宙

吉原政巳先生著「維新史談」を読む(弟10回) 第一章明治 ...

... 会津・桑名・薩摩各藩の諸隊と衝突、尊皇攘夷を唱える長州勢は壊滅、来島又兵衛、久坂玄瑞、寺島忠三郎らは戦死した。当時、京都守護職であった会津藩主・松平容保は薩摩藩と連携して、長州の尊攘急進派を弾圧する体制を整えていたのである。 ...

吉原政巳先生著「維新史談」を読む(弟10回) 第一章明治 ...

蛤御門

... 一時、筑前藩の守る中立売門を突破するが、薩摩兵が援軍に駆けつけると形勢は逆転し、来島又兵衛、久坂玄端、寺島忠三郎らは討死をする。 戦は一方的に長州側の負け戦となり国許へ敗走の祭、長州屋敷に火を放ち、これが京の町を焼き尽くしてしまうのである。 ...

蛤御門

京都旅行記3日 霊山護国神社 知恩院

... 左より入江九一、寺嶋忠三郎、久坂玄瑞のお墓。 入江、久坂、吉田稔麿、高杉晋作合わせて、松下村塾四天王。 真ん中は禁門の変で指揮を取った、来島又兵衛。 右高杉晋作。 高杉晋作の奇兵隊はテストに出ます。 高杉は後ほど追加で熱く語ります。 ...

京都旅行記3日 霊山護国神社 知恩院

寺島忠三郎とは?

寺島 忠三郎(てらしま ちゅうざぶろう、天保14年(1843年) - 元治元年7月19日 (旧暦) 7月19日(1864年8月20日))は、江戸時代後期の長州藩 長州藩士、尊皇攘夷派の活動家である。父は寺島直一。兄弟に寺島秋介。名は昌昭、作間忠三郎などの変名を名乗る。
周防国(山口県)に生まれる。藩校明倫館で吉田松陰に師事した。1862年(文久2)、御楯組結成に参加、長州藩家老の長井雅楽暗殺計画にも参加する。1864年(文久3)、八月十八日の政変で長州藩が失脚した後に、久坂玄瑞らとともに禁門の変で自刃する、享年21。
墓所は京都市の霊山護国神社ほか。
幕末維新側人物 てらしまちゆうさふろう

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